高峰秀子生誕100周年プロジェクト始動
高峰秀子生誕100周年プロジェクト始動
映画『二十四の瞳』『浮雲』など、数々の作品に出演した日本を代表する女優の高峰秀子。1924年に函館市に生まれてから、来年100年を迎えるのを機に「高峰秀子生誕100年プロジェクト」が始動。日本のみならず世界でも活躍した高峰秀子の生誕100周年を通じて高峰秀子の女優としての功績に限らず、人として、女性としての生き方、美学、何を大事にしたのかなどを、今の若い方々にも知ってもらいたいとの想いから、本プロジェクトは企画された。早速、今月15日から東京・池袋にある文芸座で高峰秀子の出演作品が特集上映する。ほかにも各地で映画の上映や講演会等が行われる予定だ。詳細は公式サイトにて随時アップされる。
高峰秀子について
5歳の頃に実母をを亡くし叔母の養女となり上京。上京後すぐに松竹蒲田撮影所製作の『母』で映画デビューし天才子役の道を歩む。13歳で東宝へ移籍してのちに自身が「私の映画の父」と敬愛した山本嘉次郎監督と出逢い、「綴方教室」「馬」など少女期の代表作を生む。
26歳で半年間渡仏、帰国後フリーとなり「二十四の瞳」「浮雲」で国内外の映画賞を受賞。その後も数々の映画賞を受賞する。その数は日本映画界最多。文字通り日本映画界のトップ女優になる。人気絶頂の1955年、30歳で松竹の助監督だった松山善三と結婚する。結婚後も数々の作品に出演し、55歳で出演した「衝動殺人 息子よ」を最後に銀幕引退する。
女優引退後はエッセイストとしても活躍。文筆にも優れ処女作『巴里ひとりある記』から『にんげん住所録』まで26作を著す。自伝『わたしの渡世日記』は当時ベストセラーになる。このエッセイで第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞する。
2010年12月、享年86歳で永眠。